10月も末になると、好きだった”太陽に吠えろ”に出演していた、ジーパン刑事こと松田優作の命日が近づいてくる。
彼の話題になった殉職シーンが放映された頃、私は入院していた。
【寝たきり老人の楽しみ】
3人目の挑戦を受けたときだった。
『ボキッ』鈍い音と共に右手の甲がテーブルにバシっと叩きつけられた。
次の瞬間頭の中で『ジュワー』っと、何かが吹き出すような音が響いた。
「なんじゃこりゃぁー」
こんな時なのに、今流行りのテレビドラマ”太陽にほえろ”で、ジーパン刑事の撃たれたときの名セリフが俺の口から飛び出す。
『ガタン、ガタン』揺れる助手席。
「イテテテテ・・・」
班長が運転するダットサントラックで、彼の奥さんが食堂で働いているという病院に向かう。
応急措置のつもりだろうか。誰かが若者の愛読書平凡パンチを俺の右腕に当ててくれた。巨乳のグラビアアイドルが、微笑んでいる。
「こいつ。腕相撲して腕、折ったみたいだ」
班長が看護師たちに説明している。
「ええっ、本当に。そこまでするー」そのあとに続く笑い声。腕も痛いがハートも痛む。
すぐ鎮痛剤の注射を打たれレントゲン撮影。
運が悪いのか良いのか、週一度診察するという78歳になる院長先生が、レントゲン写真を手に取り「こりゃ斜めに折れてる。手術して、ボルトで固定しないと、くっつかないなあ」写真を持つ手が震えてる。
「先生が手術するんですかー」思わず聞く。
「僕じゃないよ。大学病院から実習生がくるから」
実習生? 一抹の不安がよこぎる。
入院棟の大部屋はシンプルでだだっ広い部屋。一応衝立で仕切られてはいるが、男性、女性が一緒だった。
男性側は窓に向かって通路を挟み左側に5ベッド、右側に5ベッドあるのに、入居者は窓際に寝たきり老人1人だけ。
(よほど大部屋は評判が悪くて有料の4人部屋とか6人部屋にいくのかな? 違うな、もともと流行らない病院かも)
廊下側のベッドを指定された。
「俺、窓際がいいんですが」看護師に頼んでみた。そしたら「窓際はね、5百円の有料」って言う。
(大部屋は金のない若者の味方で無料って聞いてたし、それに空いてるのに。悪徳病院だー)
「冗談よ。今は空いてるけど窓際はね。お年寄りのためにとってあるのよ。若い人はすぐ退院てきるでしょ」で納得した。
結局入り口に近いベッドだった。
金属製の添え木をあてられ痛みどめを飲み、その夜はぐっすり寝れた。
次の日、固定され滑車に1.5キロの重りを吊るし、折れた箇所が斜めにずれているので、引っ張って元に戻す処置が始まった。
多少の痛みを伴うが耐えられない痛みではない。けど、日中ベッドでの2時間の拘束は、辛いものがある。
2日後に手術と決まった。切開して斜に折れた骨をステンレスのボルトで固定するのだ。
よほど不安が顔に出ていたのか、「心臓に近いところは、全身麻酔で手術するから大丈夫よー。安心して」と、俺より若い高校生みたいな看護師に言われた。
その日がきた。軽い麻酔を打たれベッドからストレッチャーに移され手術室に。ゴム製のマスクを口に当てられ「息を吸って下さい」で、お見舞いにきたとき班長が言った(酒を飲む人=麻酔が効かないかも)を思いだす。
おもいっきり息を吸い込んだ。
それっきり……。
重い、重い……ボーとした意識の中で見えたのは、誰かが俺に馬乗りになって頬っぺたを叩いているポーズ。
「重い……やめてくれ……」
さらに意識がはっきりしてきた。
「なにすんだよー」
「ああ、よかった。気がついて」
あの若い看護師だ。
「麻酔が効きすぎちゃって、覚めないから」俺から下りながら言うが、もう少しそのままでもよかったかなあ、なんて。
「それにしても、もっと違うやり方があるでしよ。馬乗りになって、頬っぺたひっぱたかなくても」
「看護学校で教わったとおりよ。何よ、重い、重いって。私、そんなに太ってないわよ」プイッとふくれ顔で言うと行ってしまった。
(そんなこと言ったっけ)
ふと気がついた。ベッドの回りを覆い隠すカーテンが、わざと開けていったのか30センチほど開いていて、衝立の向こう側、お見舞いに来た人や女性患者までが衝立をずらし、俺の方を見て笑っている。中には手を叩いて、笑いこけてる婆ちゃんもいた。
(何だ、何だあー)
首を回して自分の全身を見る。と、俺はカエルがひっくり返った格好で股を広げ、大事なところを包帯みたいな細い紐でまわしみたいに巻かれ、へそから下に向かったのが2つある玉をきれいに左右に分け、半分以上はみ出て、陰毛が偉そうに”モジャ”っと出ていた。
「なんじゃこりゃぁー」
踊って手を叩きたいほど恥ずかしい。
シルク10パーセントの気合いの入った柄パンに着替えて手術にのぞんだはず? 後で知ったことだが、執刀医が手術中動脈を切ってしまい血が吹き出て、血だらけになり柄パンは捨てたとのこと。そんなことが許されていいのかー。訴えてやるー。
ベッドにいると、昼寝てしまうので夜なかなか寝つかれない。
そんなある日。
夕方から雨になり風も出てきた午前2時を少し回った頃だった。
「ヒィッ、ヒィヒィ」
不気味な笑い声が聞こえた。
(何だあ、空耳かな)
続いてかすかに『トン、トン、トン』壁を叩く音。またあの笑い声。それが何度か繰り返され、俺は毛布を頭の上まで引き上げた。
うつらうつらで朝が来た。
「ねえ。この大部屋、何かいわれがあるんじゃない?」
朝の検温にきた若い看護師に聞いてみた。
またバカにされるので、恐怖心が顔にでないようきわめて自然を装ってだ。
「そりゃ病院だもの、怖い話の1つや2つ、あるわよ」
「やっぱり」
腕に鳥肌が立ってくる。
「馬鹿ねえ。そんなことあるわけないでしょ」鳥肌を見て ”頼りげのない青年” とでも言いたげな顔してサッと病室から出て行った。
(ショボッ)
ちょうど梅雨に入りジメジメして眠れない夜が続いた。
それでなくても雨が降ると決まって聞こえる、真夜中のあの音と不気味な笑い声。
腕っぷしは強い方だが幽霊とかの話に、めっきり弱い臆病な自分に腹が立つ。
毎朝、部屋を掃除にくる婆さんがいる。必ず一番に寝たきり老人のところに行く。
「あんじゃー、今日は6つも。いがったでねえがい」と言いながら、寝たきり老人がいつも左手に持っている、杖のような物の先に付いてるゴムを、絞った雑巾で拭き、ベッドの周りを掃除する。俺のとこにも来て掃除してくれるが、
「いい若げえもんが、いずまで入院してんだべー」と、いつも何かしらの嫌味を大声で言う。
(何が6つもだ? いがったでねえがいって、どこの方言だあ? まったく。もう少し静かに掃除してくれよ)
俺が、10日ほど入院していた間、家族とか知り合いが、寝たきり老人を見舞に来たことは一度もなかった。
また雨の降る寝苦しい夜がきた。うつらうつらした状態の中、『トン、トン、トン』壁を叩く音。同時に「ヒィッ、ヒィヒィ」またあの不気味な笑い声。
音のするのは寝たきり老人の方からだと、見当はついていた。俺は勇気を奮い起こし正体を探るべくカーテンをそっと開け、スリッパを履く。
隣の空きベッドの落下防止パイプに手をかけたとき、『ギィ』と音がして、その音にもヒヤリとする。
老人のベッドに近づくにつれ、音が鮮明になってくる。
『トン、トン、トン』
カーテンの隙間からそーと覗くと、老人が壁に向かって杖のような物を振り上げ、何かを叩いているのだ。
(何してるんだろう?)
よく見ると壁の上の方にある豆電球に、ゴキブリの子供のような小さな虫が集まっている。その虫に向かって、杖のような物で休みながら何回も何回も叩き、何回目かに虫に当りポトリと下に落ちると、「ヒィッ、ヒィヒィ」顔をゆがませ笑うのだ。
それが寝たきり老人の、唯一の楽しみだった。
なにしろ戦前に建てたという古い木造作りの病院だ。雨が降りジメジメしてくると、窓に近い寝たきり老人の豆電球に、なんという虫か知らないが、ゴキブリの”こっ子”みたいのが集まってくるのだろう。
俺は自分のベッドにそっと戻り、「しょうがないか」とつぶやき、スポットライトをつけ、読みかけの文庫本を取り出した。
退院して一週間後、抜糸のため病院にきたので終わってから大部屋を覗いてみた。
寝たきり老人のベッドはマットだけで誰もいない。ナースステーションで聞いてみた。
「窓際にいた老人の方は……」
3日前に亡くなったとのこと。
「……」
何か人生の虚しさ、やるせなさみたいなものを感じながら病院を後にする俺を、追いかけてきた若い看護師が呼び止める。
「ねえ、待ってよー」…………。
完
なんじゃこりゃあは文章がとても面白いです。実体験でしょうが、思わず笑ってしまいました。
ありがとうございます。半分衵体験です。
ごめんなさい。字が間違っていました。半分以上本当です。登場してる若い看護師が女房です。コメントありがとう。