たった、たった五歳の女児が両親から日常的に虐待を受け死亡した事件。あまりにも、あまりにも悲しい。
女児が覚えたての平仮名で書いた、『あしたはできるようにするからゆるして ゆるしてください』どんな名言、どんな著書よりもジンときて、悲しい、悲しすぎる。
君が謝ることはないんだよ。あやまるのは君を救えなかった私たち大人だから。
関係者とかが言う「二度とこのようなことは云々。覚悟を持って云々。あってはならないこと云々。真剣に取り組んで云々。前向きに云々」と。
私はこの言葉自体が、貧相な言葉に思えてならない。
何百回何千回繰り返し同じことを言い、繰り返すんだろう。いったい誰に向かって言ってるのだろう。抜本的な対策も立てられずに。
言う度に同じことか起るような気がする。もううんざりだ。
貧相な言葉を嘆いても仕方がない。それを許し見抜けないままに放任している我々大人が悪いのだ。
刑も軽すぎだ、この国は。カリフォルニアで同じように虐待死させた事件で父親は死刑、母親は仮釈放のない終身刑なのに。
どうすれはいいのだろう?
政治だろうなあ、政治を変えるしかないのだろう。少子化対策とか児童福祉とかの、票にならないことに取り組む政治家を増やさなきゃ。
仕組みを変えることだ。
例えば立候補する人達に、今最も対策が必要と思われることを、そうだな、最低三つは出してもらいそれを選挙ポスターに記入するとか、対策、方法も。
大声で名前を連呼したり、不気味な都市伝説みたいな顔をポスターに載っけるより、断然いい。
当選した暁には「どう、進んでる?」なんて追及できるしね。
話は横道に入ってしまったけど、救われるのは警視庁の捜査課長が会見で声をつまらせ涙を見せ、また女児の書いたのを読み上げるニュースキャスターも、堪えきれず泣き出したことだ。
まだこの国にも倫理観ある人間が大勢いるんだね。でも、それをいかにもしたり顔で批判する、不思議な人種もいるけど。
そんな奴らは、誰が言った言葉だっけ、
「みんなクタバレみんなシネ、宇宙のチリと成り果てろ」
だ。