弓ヶ浜で

 

夏が来るたびに思い出します。伊豆の弓ヶ浜に海水浴に行ったときのことです。

ー「ほう」

それが……余りにも奇妙というか、おかしな話なのです。

ー「いいじゃないか。奇妙な話。おおいに結構」

あれは不思議な体験でしたよ。

ー「興味がわくねえ」

まあ、聞いてください。

 

会社も休みに入り、民宿もどうにか確保。車も買い替えたばかり「いざ、弓ヶ浜へ」

道路の混んでいること。やっとのおもいで民宿に到着しました。その夜はぐっすり寝れるはずが、私だけ蚊に悩まされ寝付かれず、もんもんとしているうちに、もう朝。

ー「蚊取り線香は?」

忘れたんです。私、お酒飲みましたから、それで蚊が寄ってきたのでしよう。でも、天気は良好です。

「さー。海だ」

ところが風邪ぎみだった女房がダウン。しょうがない。はしゃぐ娘と二人で海に。

学校も夏休み。家族ずれでいっぱいです。

ー「そうだろうねえ」

しばらく波打ち際で娘と遊んでいました。でも私は寝不足と疲れで、監視塔あたりに陣取ったビーチパレソルに。

ー「眠気がさしてきたのかな?」

そうなんです。そのうち一人遊ぶ娘を見ているうちに、着替えを入れたバックを枕に、うとうと。

ー「寝てしまったの疑問? 娘さん一人残して」

それを言われると……。どれだけそうしていたか。

「はっ」として目覚め、慌てて立ち上がり娘あを探しましたが、浪打ち際で遊んでいたはずのあ娘の姿が見当たりません。私は焦って周囲を見回しました。

ー「見つかったの?」

ええ、右側にある岩場の近くで。

ー「よかった」

それが、娘は両手を挙げ、バタバタしています。

ー「ハラハラしてくるよ」

とっさに「あっ、溺れてるあ」と思った瞬間、頭の中が真っ白になり、気が付くと、信じられないことに娘の前に立っていました。驚くと同時に夢中で娘を抱き上げました。が、私がいた監視塔から岩場まで少なくとも百メートルはあります。「あっ」という間に着ける距離ではありません。

ー「そりゃそうだろう。オリンピック選手じゃあるまいし」

でしょう。私も驚いたのですから。

ー「どうしたのかね?」

娘の話では「お父さん、助けてー」と叫んだら一瞬のうちに私が目の前に現れた、と言います。

ー「そんなバカなこと」

そうなんです、岩場までは甲羅している人や遊んでいる人たちで……とてもとても。

ー「……?」

娘を抱いて返ってくる途中も、砂を被って文句をい

う人やぶつかって抗議する人もいませんでした。娘は遊んでいるうちに浮袋が流され、追いかけているうちに深みにはまったそうです。

ー「危ないところだったんだ」

もう遊ぶ気もしなくなり民宿にかえってきました。

そのことを女房に話したのですが……信じてもらえません。

「夢でも見たんでしょう」って。

ー「そういうだろうなあ」

でもあれは、決して夢ではなかった。「娘を助けなければ」という一心が、何か不思議な力を呼んだんだと。

ええ、今でもそう信じています。

ー「うーん、何とも……」

「証拠?」いえ、そんなものありませんよ。

ただ。

ー「ただ?」

岩場近くで遊ぶお孫さんたちを、写真に撮ってい

たおじいさんがいたんですよ。後日送ってくれました。これです。

ー「どれどれ」

私が娘を抱き上げているだけの写真ですが。

ー「君の顔といい、娘さんの笑顔といいじつによく撮れてる」

私の宝ですよ。

 

 

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