クロ

クロ

棒切れで追い払った三匹の野良猫は、それぞれ口に咥えて走り去っていった。神社の裏で鳴いていたのは捨てられた子犬だった。

「クーン、クーン」段ボールの中で、たった一匹残った子犬は、抱き上げるといっそう悲しげに鳴いた。まだ目も開いていない。体のあちこちが引っかき傷で血が滲んでいる。

家に連れて帰り裏玄関で赤チンを子犬に塗りながら「絶対面倒みるから飼っていいでしょ」と、両親に頼んで、やっと「いいよ」と言われたときは、嬉しさのあまり飛び回った。

僕は北海道夕張市に住む小学3年生。兄弟がいない一人っ子だ。

一人っ子なんて僕のまわりには誰もいなかった。みんな当たり前のように兄弟がいる。何故僕には兄弟がいないんだろう。

「母ちゃん。オレも弟や妹、欲しいよー」何度母ちゃんを困らせたものだろう。

これで僕にも兄弟ができた。本気でそう思った。メスだけど黒いから名前はクロだ。

牛乳を温めてスポイトで口に入れてやる。チューチュー吸い込む姿が愛らしい。

学校にいてもクロのことばかり。

(母ちゃん、クロにご飯やったかな? ウンチは取ってくれたかな?)

学校が終わると一目散に家に帰った。

1ヶ月もたたず歩きだし、ご飯を食べるようになった。

裏玄関に置いたミカン箱がクロの家だったがそれもすぐ、父ちゃんが裏玄関の外に作った犬小屋にかわった。

「バカじゃねえがあ。犬っころを妹だなんて」

近所の子供たちがバカにしたが僕は気にもしなかった。

朝は集団登校だから八二醤油屋の前で僕らを見送るクロ。

「クロ、いって来るね」たちまちクロはみんなの人気者になった。

帰りは小学校の門の前、ちょうど柳の木があるあたりに下校時間になると僕を待ってる、クロ。

雨の日でも向かいにある佐藤印刷屋の軒先で待っていた。それがときどき僕の胸をギュッと締め付ける。「クロ」と呼ぶと、尾っぽを千切れんばかりに振って、僕めがけて飛んでくる。

家に着くまで道草して角の駄菓子屋、春江お婆のベンチに座り、一休み。

「クロ、今日ね・・」と、学校でのことを話すんだ。クロは首を傾げて聞いている。

そんなクロが妊娠して子どもを5匹も産んだ。3匹は友だちとかにお願いしたけど、2匹は僕が世話しながら飼い主をさがすと父ちゃんに言った。けど、二三日したら姿が見えなくなった。

ガキ大将の信ちゃんが、「お前の父ちゃん、犬っころ川に捨ててたぞ」って教えてくれた。きっとそのせいだ。クロは体の調子が悪くなり小学校にも迎えにこれなくなったのは。

そんなある日、学校から帰って来たけど小屋にクロの姿がない。シッポ振って迎えてくれるのに。

(クロ、どこに行ったんだ)

あちこちの電柱に似顔絵書いて貼った。それを見た隣のアキ姉ちゃんが、「お前の父ちゃんがね、クロをバイクにのっけて、どっかに連れていったよ」と。

僕は父ちゃんに「クロ、どごに連れでいった」と、泣きながら向かっていった。父ちゃんは戸惑った顔してされるままになって何も言わなかった。

次の日しょんぼりしていると、父ちゃんが「ライオン堂の店先にテレビがおかれるって。おめえの好きな、力道山見れるぞ」と話してきた。僕は聞いてなかった。父ちゃんは僕がまだ小さなはな垂れ小僧だと思ってるんだ。

今日も学校帰りに信ちゃんたちとクロを探しに出かけ疲れて寝てると、隣の部屋から母ちゃんの声がした。

「何てかわいそうなごどすんの。クロ、どこにやったの?」すると父ちゃんが「こんなになるとは……七曲りの方まで行って、林の中に放してきた。今日探しに行ったけど見つからなかった」というのが聞こえた。

僕の受けた衝撃は計り知れない。僕はクロを探しに行かなくてはと、家をそっと抜け出した。

七曲りの辺りに来るとしだいに暗くなり疲れてしまい、バス停があったので長椅子に腰をおろし、ナップサックから水筒を取り出し飲んだ。勢いよく飲んだのでゲボゲボとむせてしまう。

もう辺りは真っ暗だ。寒さよりも心細さで足が震える。

その時『ワン、ワン』グロの声がした。

「クロー、クロー」僕は声を頼りに歩いていった。

すると明かりのついた藁葺き屋根の農家がある。クロはそこにいるに違いない。

玄関の土間に立ち障子に向かって、

「すいません。ここにクロという犬はいませんか?」

障子が開き、囲炉裏にお爺ちゃんとお婆ちゃんが、待っていたかのように穏やかな声で「クロはいねえげっども、あがらっせ」と二人同時に言った。

囲炉裏の前に座ると、お婆ちゃんが吊るしてある鍋からお粥をよそってくれた。お腹が空いていたので二杯もおかわりした。

お腹がいっばいになると、コックリコックリ眠くなる。

「あら、まあまあ。明日、ジッさまがおぐっていぐから今夜はゆっぐり寝なんしょ」と、お婆ちゃんが言ってくれた。

温かい朝ごはんを食べ、お婆ちゃんにお別れを言い、お爺ちゃんの運転する耕運機で家の近くまで送ってもらった。

警察の人や消防団の人が大勢集まっていたが誰も僕と耕運機に気が付かないみたいだ。

「お爺ちゃん。どうもありがとうございました」

お礼を言って家に行くと母ちゃんが、泣きながら「どごに行ってだんだ。心配かけて」と、頭をピタピタ叩いてそして撫でた。

次の日、父ちゃんのオートバイで、助けてくれたお爺ちゃんとお婆ちゃんの家にお礼にいくことに。

記憶を頼りに探してみたが見つからない。

父ちゃんが畑で野良仕事をしてる人に尋ねると、

「それは野崎さんとこみでえだげじょも、今は誰も住んでねぇ。ジッさまもバッさまも、とっくに死んじまっただもの」って言った。

教えられたとこに行ってみた。

荒れ果てた藁葺き屋根の家だけど、まぎれもなく僕が助けてもらった家だった。壁の剥がれかかった納屋に、錆び付いた耕運機が置いてあった。

《クロ》

クロってね僕の妹なんだ

男みたいな名前だけどね

言葉はしゃべれないけど

僕の言うことわかるんだよ

小学校の門の前で僕を待ってた

クロ

田んぼのあぜ道を一緒に駆けた

クロ

クロ

クロ

・・・・・

クロはもういない

2件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です