二度も悪性腫瘍で入院すると否応なしに”死”を意識してしまう。そんなおり、終活のつもりで身辺整理をしていたらNHKの2チャンネルで放映していた番組、モーガン・フリーマンの「時空をこえて」で ”死後の世界はあるのか“を録画したSD カードが出てきた。まだ再生してなかったので俄然興味をそそられタブレットに差し込んだ。
モーガン・フリーマンは言わずと知れたハリウッドを代表する俳優である。その彼がオカルトめいた番組の案内役をしているとは。
『人は死んだらどうなるのでしょうか? この世から消えるだけなのでしょうか?』で始まったその内容は、見ごたえがあり、結論からいうと否定派の私も「死後の世界はあるのでは」と信じてしまうものがあった。ではその内容を少しひもといてみよう。
それでは臨死体験者の話から。
脳神経外科医のエベン・アレグサンダーは自分が細菌性髄膜炎に侵され脳死に近い状態になり奇跡的に目覚め、昏睡状態になっていた時のことを、「昏睡状態のときを思い出すと、暗いじめじめしたところに長くいた状態から突然光があらわれ、私は美しい蝶の羽根の一部になっていました。周りには何百万もの蝶が群れをなして飛んでいて、それから私を含む蝶の群れはこの世を離れ、今私がコアと呼ぶ場所に着き、暖かく美しくそれはまさにこの世とは違う場所に存在するもの、そう神と呼んでいるものでした。目の前にいくつもの宇宙が広がりその宇宙の大きな部分を占めているものは、『愛』であることを確信しました」と、語っている。バージニア大学の精神科医グーズ・グレーソンはこれまで1000件以上の臨死体験を調査してきた。彼はこう語っている。
「臨死体験で必ず語られるのは深いやすらぎ、安堵感、肉体からの離脱そして眩しい光です。その光は暖かさと無条件の愛にあふれているそうです。中には人間とは違う神聖な存在に出会ったと語る人もいます。それを神と呼ぶかどうかは人それぞれですが全能の力をもつ存在という点では一致しています」
次にモーガン・フリーマンが登場し、
「多くの科学者はこういった体験を、ニューロンに酸素がいきとどかず、強いストレスがかかった結果がもたらした幻覚だとみなしている」と結んでいます。
ここまで書いて、ふと思った。
「面白くない」と。
やめた。やめた。違うだろう。”死後の世界はあるのか”は、題名だけが独り歩きして臨死体験もありきたりだし、脳を今流行りの量子コンピューターに例えてみたりで目新しいのはなかったじゃないか。それをさももっともらしく俺は書こうとしてる。もっと自分の言葉で書かなきゃ。”時空を超えて”から離れよう。
アインシュタインの一般相対性理論があてはまらないブラッホール特異点定理の発表で知られるホーキング博士が、6月18日に亡くなった。彼は死後の世界は存在しないという主張をして「人間の脳は、部品の壊れたとき動きを止めるコンピューターであり、壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない」と、否定的な考えでしたが、アインシュタインの有名なあの舌を出してる写真を皮肉ったのかそれを全面的に否定していなかったのが、彼の彼らしいところだろう。
これもダメだ。面白くない。
結局、何千年前から古今東西の先人が試行錯誤し考え悩んだことを俺ごときが……。
でも、勝手だけど少しだけ俺の見解を述べさせてもらい終わりにしたい。
[この世は一人称]
この世は自分が知りえる範囲、見た範囲いわゆる一人称の世界です。映画や小説の三人称、いわゆる神の目視点ではありえない。
ということは、「人類70億一人一人に宇宙がある」ということが言えるのではないだろうか。
自分が亡くなれば自分の宇宙がなくなるのだ。だけどアルツハイマーなどで自我が認識出来なくなった場合などは、どうなるんだろう? しかし、人は他人の死は自覚できても、自分の死は自覚できるのだろうか?
何を言いたいんだ…俺は