いつかまた……どこかで
ラテン音楽や映画音楽好きだった父の、LP盤で二千枚以上あるレコードコレクションを、実家から持ち帰り書斎で整理していると“北京の55日、峠の幌馬車“それに“静かなるアラモ“などに交じりそれはあった。サイモン&ガーファンクルの色あせたレコードジャケットの中に。
これが何故父のレコードコレクションの中に交じっていたのだろう……。手紙はみんな処分したはず、それに彼女に出した私のものまであるとは。不思議に思う反面、仕舞っておいたレコードプレーヤーを引っ張り出し、ヘッドホンを付け何度も繰り返し聴いた曲、スカーボロー・フェアを聴きながら、遠い日の大事な人の面影にふけっていた。
「あなたー」
妻の裕子がいきなり書斎に入ってきた。
「ノックぐらいしてよ。ビックリするじゃないか」ヘッドホンをはずしながら言った。
「したわよう。あらナニ? 目、真っ赤じゃない。泣いてたのー」と、からかい気味に言ってくる。バツが悪く「義母さんは?」と、照れ隠しぎみに聞いた。
「お風呂、麻美といっしょに。はい、コーヒー」
「サンキュー。大丈夫なの、まかせっきりで」
「大丈夫よー、楽しんでるんだから」
義母は孫の麻美が可愛くて月に2,3度は泊まりに来ていた。
何か? 目で問うと、「あのねえ、ゴールデンウイークに、お母さん連れて温泉でもって相談しようと思ったの。麻美もおばあちゃんと一緒の旅行って、初めてでしょ、だから喜ぶんじゃない。それにあなたも気分転換になるでしょ」と、改まった顔で言ってくる。
「何だそんなこと。温泉、いいね。行こうか」
「なによ、気乗りしない返事して。それ、何?」身を乗りだしのぞきこんできた。
「ああ、これね……会社の帰り実家に寄ったときさ」幾分両手で隠しぎみにして答えたのが、いけなかった。
「ふーん」何か腑に落ちない顔。
「あれ、言ってなかった。前から頼まれていたんだ、姉貴に。父さんの遺品整理してって」弁解がましく言ったが、父が亡くなってもう半年になろうとしてるのに、まだ受け入れらられずにいる。
「いつだっけ。姉さんが、お前にって。崎陽軒のシュウマイもらってきたでしょ」
「あら、あの日。私まだ義姉にお礼言ってなかったわ。ご苦労さまでした。それでエー」
「別にどうってことないんだけどね。どういう訳かむかし文通してた人と、詩のやりとりした手紙っていうか……出てきて。それもね、詩の書かれてる箇所、数枚だけなんだけどね」
「えっ、あなたが! 詩。私の俳句笑うのに」意外って顔して言う。
「僕が詩を作るってそんなに驚くことなの。けどさ、何かおかしいんだ。彼女に出したはずの僕のものまであるからさ」
「へんねえ。あ、わかった。忘れないように二枚書いたんじゃない。控えとして」
「そうかあ。だから最初のほうの詩の書かれてる部分だけなのか」それで妙に納得してしまった。
「それってタイムカプセルみたいじゃない。私、見たいなあ、見せてよ。絶対みたいい」
見るまで一歩も引かないぞ、という意気込み。
「そういわれりゃそうだけど……中学生時代のたわいもない詩だよう。詩なんて呼べるもんじゃないよ。それも数枚だけだし」
「いいから早く見せてよ」と言いながら、脇の椅子を引き寄せた。
「なんか照れるな。笑いっこなしだからね」
「どれどれ。最初は、あなたのね」
彼女の目。プレゼントを前にした子供みたいにキラキラ。
✉ 晴美さんへ
朝夕だいぶ寒くなってきました。風邪引いたといっていましたが治りましたか? サイモン&ガーハンクルのレコードありがとう。スカボロー・フェア、いい曲だね。エッセイもすごくよかった。
庭のキンモクセイを擬人化したり、「沈黙の中で考える」なんて表現、文学的。話かわるけど、この間、姉が子犬もらってきたんだ。名前はクロ。可愛いんだよう。 この詩、気どりすぎ?
「希望」
何かが僕をみている
何かが僕をみつめてる
風か流れる雲か
何かが僕に声をかけ
そのくせすぐ遠ざかっていく
僕は生きているんだ
そう思わずにはいられない
ああ、赤く燃える太陽よ
いつまでも
いつまでも
照らしておくれ
☆ ☆
「ナント、ナント。これぞ少年って感じが、にじみでてるね。なんてピュアなんでしょう。文通かー。淡い青春の始まりだ。それ、彼女がらの返信? どれどれ」
「ちょっとー」
✉ 信ちゃんへ
クラスメイトの半分が風邪ひいちゃって、私も人並みにね。でももう大丈夫。子犬、いいなあ。私も小学生のころ飼ってたの。チロっていう名前だった。
信ちゃんのこの詩、可能性がいっぱいって感じでてるよ。私の、少女っぽい?
「雪のささやき」
ストーブで火照った頬
真夜中の一人
泣かないで
窓を少し開けてみて
窓明かりに誘われて
雪
雪
雪
泣かないで
耳を澄まして聴いてみて
ほら
雪がささやくから
『心の中の引き出しを、そーと開けてほほえみなさい』
と
☆ ☆
「文学少女みたい。心の中の引き出しって、何だろう? きっと幸せがいっぱいしまってあるのね」
✉ 晴美さんへ
レコードのお礼に、金子みすずの詩集、送るね。
この間、三者面談あったけど、母さん身体の調子悪く、父は出張で、先生と二人だけの面談だった。だけど先生の言ってることがさっぱり理解できないよ。持って回った言い方で僕という人間を、自分の言葉でどう反応するかで、態度を決めようとするのみえみえでさ。
「信吾君。キミの将来性を考慮して」なんて真顔で言うなよって、嘘くさい。
「矛盾」
菜の花に
信吾の叫びぶちまけて
黄色と赤の迷い花
菜の花の香りにおぼれ
さまよいぬ
☆ ☆
「支離滅裂。まあ、何となくわかる気もするけどね。青春の屈託した心理かな」
「はいはい、彼女も同じようなこと言ってますよ」
✉信ちゃんへ
詩集ありがとう、前から欲しいと思ってたの。いるいる嫌な先生。自分の気に入った生徒ばかり、えこひいきしたり。質問しても「そんなこともわからないのか」なんて顔して一法的に授業を進めてしまう先生。
私、嫌なことあるとね、部屋中掃除機かけちゃうんだ。そしてね、「ポン」とゴミと一緒に捨てちゃうの。
風邪治ったけど、最近疲れぎみ。で、今回は作品ないでーす。
☆ ☆
「なるほど、ゴミと一緒にポイね。私もしてみようっと。はい、次のおー」
「まったくー」
✉ 晴美さんへ
僕だって夢があるのにさ。父は自分の意見ばかりで聞いてくれないよ。「お前も大人になればわかる」ばっかりでさ。まあ、いい話がね、一つ。100メートル11秒8、すごいでしょ。県大会出場、決まり。
「無題」
空は灰色さ
おまけに雨が降ってきて
走りだすと父は
「濡れないでいけ」っていう
だからさ僕はいってやるんだ
「あんたみたいになりたくないよ」って
小言なんてまっぴらだよ
すこし反省したふりしてさ
またいってやるんだ
「あんたみたいになりたくないよ」って
こんな日はクロと散歩さ
目に入るのは虹なんだ
追いつけるかな
行こうか
クロ
☆ ☆
「何これー! ひどいじゃない。お父さまのこと悪く言って。こんなの詩じゃないわよ」といいだし、窓際の壁を指さして、
「この額に入れて飾ってある、『信吾へ』っていうお父さまの俳句。
“春うらら 勢いて咲けよ 若桜“
すごく子供を思う気持ちが出てるじゃない。それで私、俳句始めようとしたんだから」と、勢い込んで言ってくる。
「待ってくれよ。中学生のころだよー、いま怒ったって……そういう時期って誰だってあるでしょう」と言ったが、自分が父を傷つけていたことは確かだ。
「それはそうだけど……」と、裕子もなにか身に覚えがありそうな顔をした。
「確かに父の苦労も知らないで、いいたいこと言っていたからなあ、当時の僕は」
「自分がその立場になってみて、分かることっていっぱいあるね。私ちょっと二人の様子見てくるから待ってて」
義母が気になるのか裕子が書斎から出ていくと改めて父のことを思い出した。
公務員だった父。役所の“何でもすぐやる課“万年係長。当時としては斬新だと話題にもなりそのぶん父の負担は相当なものだったはずだ。
「お前のオヤジ、あやまってばかりいるクレーム処理係だってえ」と周りから言われ、たまらなく嫌で父に反発ばかりしていた。そのときの父の、泣き笑い顔を思い出し、目が潤みだしてきた。
「お待たせー、背中流しっこしてた。はい、続きおねがいしまーす」
「えーと次は、これか……」
✉ 晴美さんへ
手紙ださなくてゴメン。母さん、亡くなった。進行性の乳ガンだった。ある程度は覚悟していたけど……。
入院したころは見舞いに行った僕と姉が帰るとき、エレベーター前まで来て見送ってくれた。それが病室の入口になって、ベッドの上になった。
☆ ☆
「つらいことだよね」
「うん」
✉ 信ちゃんへ
何ていっていいか……私も小学五年生のときに母が亡くなったの。悲しくて、涙ってこんなに出るものなんだと。
この詩はね、急に寂しくなって雨の日にお参りにいったときのなの。
「ジャノメ傘と赤い長靴」
天気予報が外れてね
今日は午後から雨になり
私はジャノメの傘をさし
赤い大きな長靴はいて
母さん会いに出かけたの
チロが後からついてくる
ジャノメの傘に入れましょう
水たまりだってピチャピチャ平気
母さん会いに行くからね
どこかでお花を買いましょう
母さん好きなシクラメン
それとも真っ赤なバラの花
両方買っていきましょう
母さん好きな
花だもの
☆ ☆
「これでおしまい。裕子? どうしたんだよう。涙ぐんで」
「だってー、何か悲しい詩。ジャノメ傘と赤い長靴って守ってくれてた母親を象徴してるようで……だけど晴美さんって、なんて素敵な女性なんでしょ」
「……」
「信吾! それでどうなったのう、晴美さんとは?」
「な、なんなんだよう。変わり身はやいー。それって今、すねた口調で言うこと?」
ー「ゆうこ、ゆうこ」
ー「ママー」
「ほら、上がったみたいだよ」
「はーい。いまいくー」
「あなたあ」
「なによう」
「私も、一句。“目に青葉 あなたに心 癒されて“
どう?」
ニコっとして裕子のやつドアも閉めないで。どうって言われても、照れ臭くてとっさにリアクションなんて、取りようがないよ。
裕子には見せなかったけど晴美さんから、謎めいた詩が書かれた手紙が、もう一通あった。
✉ 信ちゃんへ
合格おめでとう。もうすぐ高校生だね。私……
“恒久の時の流れに いつかまた……どこかで“
☆ ☆
高校生になった僕は、二人で決め中止していた文通を再開した。けど、晴美さんからの返信が途切れていたので心配になり、貯めた小遣いをポケットに、晴美さんが住んでいるM市を訪ねることにした。
それは五月の末、梅雨に入りそうなころだった。
そこはレンガ作りの古い洋館で、絵葉書に出てくるような雰囲気が漂っていた。しかし、ペンキの剥がれかかった扉には鍵がかかり、玄関まで続く石段には訪れる人もいないのか落ち葉がたまっていた。住所はあってるのに? 人が住んでる気配がまるでない。
犬を散歩しながら通りかかったおばさんが、じっと扉の前に立っている僕を不審に思ったのか声をかけてきた。
「あなたルイスさん宅に用事でもあるの?」
「はい」気まずそうに答えるとおばさんは、
「そう、もう半年になるかしら、今はもう誰も住んでいないのよ。可愛いいお嬢さんがいたけど、重いご病気で亡くなられれて。お父さまが本国に……」
「えっ!」
あまりの衝撃に言葉を失い話を聞くことができずに、しゃがみこんでしまう。
気を取り直しお礼を言ってその場を離れた。
駅に向かう僕の中でいろんな思いが交差していく。たった十七歳で死んでしまった、晴美さん。
悔しかったろう。
やりたいことがいっぱいあったろう。
もっともっと生きたかったろう。
僕は運命というその、得体の知れないものに対する、ぶつけようのない怒りと苛立ちに戸惑う。すると、どうしようもないほどにこみ上げてくるものがある。僕は奥歯を噛みしめその予感に耐えていたのに、どっと涙が流れでた。
☆ ☆
あの時はショックで動転してしまった。晴美さんが半年前に亡くなっていたなんて。最後になったこの手紙、いったい誰が……。レコードをジャケットに入れ手紙といっしょに机の引き出しにしまった。そして私は、窓を開け、星が輝きだした空をしばらく見ていた。
「いつかまた……どこかで」夜空に向かってつぶやき窓を閉めた。ら、
『わーい、わーい。おばあちゃんも……いっしょに……』娘のはしゃぐ声が、騒がしくなった居間のほうから聞こえてきた。
完