オットー橋に吹く風は

オットー橋に吹く風は

この物語は私が小学5年生まで住んでいた東北のある田舎町で味わった,愉快で少し怖く、ちょっぴり悲しい私の体験した物語である。尚、会話文は方言を使用した。

【主な登場人物】
ミッちゃん=小学二年生。僕の妹。
エボちゃん=小学六年生でガキ大将。
トッコ姉=小学六年生でタカオの姉。
タカオ=小学四年生でトッコ姉の弟。
トオル=小学三年生で僕の子分。
バッちゃん=母ちゃんの母親。
玉くんつえババアとデカボッチ。


町の北側を流れる鶴沼川は僕らの格好の遊び場だ。夏は水泳場となり冬は土手がスキー場になる。水が澄みきって鯉、フナ、ハヤ、オイカワなどの小魚が群れをなし、川辺は四季おりおりの姿を見せてくれる。
春の訪れと共に背あぶり山から雪解け水が流れだすとネコヤナギが芽を吹き、待ってましたとフキノトウは川辺を賑わし、待ちきれないとつくしんぼうが顔を出す。梅雨が終わると蛍が飛び交い、夕涼みに来た人を魅了する。
周囲の田んぼが稲刈りの時期に近づくと、イナゴが飛び跳ね、空を赤とんぼが埋め尽くす。

鶴沼川に架かる橋は二つあり、一つはK市につながる鉄骨造りの立派な橋で、二つ目はそこから八百メートルほど上流にある、向こう岸の桑畑に行くための古ぼけたコンクリート製の小さな橋で、本当は“オカイコ橋“というけれど僕らはオットー橋と呼んでいた。夏、そこから川に飛び込むことが勇気の証だった。
鶴沼川の土手の斜面に掘っ立て小屋を建て住んでる人たちの中に、知恵遅れの息子と暮らす目の見えない老婆がいた。息子のほうは三十歳ぐらいの大男で町の人たちは二人を玉くんつえババアとデカボッチと呼んでいた。
一週間に一度か二度、雨の日を避けデカボッチに手を引かれ町に出て来る。そして家の玄関先や軒下で「玉くんつえー。玉くんつえー」と呪文のように繰り返し唱える。(玉とはお金のこと、くんつえは下さいという意味)
町の人たちは誰も玉くんつえババアとデカボッチを邪見に追い払わず、みんないくらかのお金や米、サツマイモ、野菜などを分け与えていた。母ちゃんもバッちゃんもそうだった。

🉂
エボちゃんはイガグリみたいな頭をした六年生で、他の町内のやつらと喧嘩になると、真っ先に飛び出していく僕らのガキ大将だ。そんなエボちゃんもトッコ姉には頭が上がらないようだ。子供会の会長でもあるトッコ姉がいい提案をしても、いつも反対する。でもトッコ姉は頭がいいからエボちゃんをうまくやり込める。僕は勇気のあるエボちゃんを尊敬していたからエボちゃんの味方するが、タカオはエボちゃんの味方したいのに、自分の姉のトッコ姉ににらまれるとすぐトッコ姉についてしまう。陰では「すぐおごってうるさいし、きかねえから、あれはオナゴでねえ」って言ってるのに。多分、タカオはトッコ姉に弱みを握られているに違いない。いつだったか、タカオの家の物干し竿に、オネショの跡がある布団が干してあった。
うん、うん。なるほど。
トッコ姉はこのごろオッパイが少し大きくなってから「オラは」って言ってたのに「ワタシは」になって、しゃれっけが出てきた。誕生日に買ってもらったというカチューシャを前髪に付けていた。僕は小学校の講堂で青年団主催の活動写真に出てた、“美空ひばり“に、「にでんなー」と思った。

神社の隅っこにある古い物置小屋は壊されることもなく放置されていた。そこに目を付けたエボちゃんが、「オドゴだげの秘密基地を作んべ」と言い出し、僕らは協力しあってやっと今日完成した。
♪粋なくろ塀~見越しの松に~死んだはずだよ~お富さん~♪
エボちゃんを先頭に僕たちは意気揚々と、いま流行りの“お富さん“を歌いながらの帰り道、玉くんつえババアとデカボッチに出会った。
いつものように「玉くんつえババアと馬鹿ボッチ。玉くんつえババアと馬鹿ボッチ」と、はやしたてからかった。そのたびにデカボッチは「馬鹿ボッチでねえ。デカボッチだ」と、むきになって言い返してくる。僕たちがますます調子にのって、からかっているそのとき、
「こらー、にしゃだじ-。デカボッチいじめんでねえ。こげな優しかオドゴはいねえんだぞう」と、通りかかったバッちゃんが杖を振り上げ、曲がった腰もピンとなり、おっかない顔して怒った。
僕とエボちゃんとタカオは金縛りにあったように体が動かなくなり、トオルは「ギャーギャー」泣き声をあげた。
「おめら、神っ子いじめんのは、会津のオドゴでねえぞ」って言った。
母ちゃんが「バッちゃんは、わげえごろ薙刀の達人だったんだぞ」と言ったのは、本当だった。
それから僕らはデカボッチを仲間にいれた。

🉁
夏休みが終わり新学期が始まった九月の末に台風が町を襲い猛烈な雨を降らし、鶴沼川を氾濫させ、町の低い地帯を水浸しにした。
停電になり夏休みの自由工作で父ちゃんに手伝ってもらいながら作ったゲルマニウムラジオは、台風は通りすぎたとピーピーガーガーいいながら放送してる。父ちゃんは畳を上げたりあちこち片付けて母ちゃんはオニギリを握っていた。僕と妹も教科書やマンガなどを二階に運んだ。そうしているうちに玄関から水がチョロチョロ入ってきた。
「二人とも二階にいってなんせ」と、母ちゃんが言うので、妹と二階の窓からアンコ色して渦巻き、水かさを増していく外の様子を見ていた。
「あっ、あそこに何かいっと」
妹が指さすほうを見ると、一メートル以上あるオバケ鯉が『バシャ』っと跳ね上がり『ギョロ』っと、僕と妹を見た。
「わあ!」
二人一緒にビックリ声を上げた。
「藤田さんちの養殖場から逃げたんだべ」
よく見ると何匹もの大きな鯉が、ピチャピチャ音をたてながら、「いがったなあ、いがったなあ」と喜び合うように、濁流の中を悠々と泳いでいった。
「兄ちゃん。玉くんつえババアとデカボッチ、大丈夫だべなー」と妹が言ったけど、僕はそれには答えず「オットー橋は流されっかも。来年は桑の実、食べれっかなあ」とつぶやくと、妹も「食べれっかなあ」と真似した。

玉くんつえババアの掘っ立て小屋と何軒かは流されて何人も死んだと大人たちが話していたが、二人は生きていた。オットー橋も流されずにいた。

非病院は古い木造二階建ての、陰気でお化け屋敷みたいな建物だ。僕とバッちゃんちの真ん中あたりにある、墓場の裏にあった。そこに玉くんつえババアとデカボッチは、助かった人たちと住むことになった。
非病院の前の道は、僕たちが鶴沼川に行くときの近道になっているのでよく通るが、そのとき必ず「あっちもこっちも息っこすんな」と言いながら、鼻をつまみ息を止めて通るのが、子供たちの間の、ならわしになっていた。
ある日、神社の境内で日向ぼっこしているバッちゃんにその訳を聞いた。
「むがしい、この村で流行り病があってなあ。それにかがった人っ子をそこに収容したがら、その名残だべなー」と、みんなに教えてくれた。
「そうしねえで通っと、チンポコが腐って取れちまうぞ」と言って「ほれっ」と、ズボンの上から僕のチンポコを叩いて「ヒッヒッヒ」と、入れ歯のない口をあけ笑いながらスタコラ歩いていった。
タカオが、「んだがら母ちゃんもトッコ姉もチンポコねえんだ」と、得意顔で言ったが、
トッコ姉に「バカでねが、四年生だちゅうに」と頭をゴツンと叩かれ、タカオ泣く。
僕はまだオネショするタカオは幼いんだからしょうがないと思い、妹と半分づつして一個残っていたキャラメルを上げた。タカオ泣き止む。


『ブルン、ブルン』エンジンの唸りも勇ましく、数台のブルトーザーが鶴沼川の土手を修復している。
毎日学校が終わると僕らはオットー橋の上から見ていた。土手はコンクリートで覆われ、どんどんその姿を変えていく。中州は削られダンプカーが何台も来て、どっかに砂利を運んで行く。
「あそこから、もうフキノトウもツクシっ子も出てこれねえがも」とエボちゃんがいい「ヨシキリの卵っ子さがしにいくぞ。あいべー」と走りだした。僕らは「さがすべー、さがすべー」とエボちゃんの後を追う。

秋祭りの日、サイダーとラムネを飲み過ぎた僕は、オシッコをしたくなり神社の裏にいったら誰かいる。トッコ姉だ。
夕方といってもまだ薄明るく、お祭り飾りに吊るされた電灯が風で揺れ、トッコ姉の真っ白なお尻と地面から立ち上がる湯気が見えた。
僕は我慢できなかったので「ごめんなんしょ」と言って、すこし離れた所でしようとしたら、トッコ姉はピョコンと立ち上がり「なじょすんべえ」と言って、走っていってしまった。
それからトッコ姉が僕にあまり話しかけず僕を見ると少し赤くなるのは、何故だろう。


父ちゃんが東京の自動車を作る会社に出稼ぎにいったころ、初めて町の大通りに横断歩道と信号機が設置された。
「鶴沼川の上流にダムができるの。それで交通量が多くなるからよ」と、東京から研修にきた女先生が説明したが、僕は聞いてなかった。女先生の話す東京弁に聞きほれていたから。
「赤はわだんな。青はわだってよし」とエボちゃんが教えてくれたが、町に出てきた玉くんつえババアとデカボッチが、それを知るわけがない。
デカボッチが玉くんつえババアの手を引き渡ろうとしたそのとき、赤信号で停まっていたダンプカーが青信号になったので走りだしデカボッチを引いてしまったのだ。

玉くんつえババアが死んだデカボッチにすがって「アキオー、アキオー」と呼んでいたと買い物から帰った母ちゃんが目撃した八百屋のジッ様から聞いたと話し「おめらも気お付けらっせよ」って言った。
学校の朝礼で校長先生が「良いごのみんなは、わがってんべなあ」と偉そうに言って、これ見よがしに自慢のヒゲを撫でる。みんなが「あだまに毛っこねえがら、ヒゲっこ生やしてんだべ」って言っているのに。

デカボッチがアキオっていう名前だったのを僕らは初めて知った。そして体が大きくて歳もうんと上だけど、優しく暴力が嫌いなデカボッチにもう会えないと思うと、悲しくなった。
そんなある日、いつものようにバッちゃんちで風呂をよばれ、みんなでお茶を飲み、せんべいやおごごを食べながら話していたその時、明り取りの天窓を叩く音がしてみんなが一斉にそっちを見た。もちろんボクも。
手だ!
ミイラみたいな手が、トントン、トントンと、明り取りの天窓を叩いているのだ。一瞬玉くんつえババアの顔も見えたが、すぐ消えた。手も。
みんなが明り取りの天窓から目を離せず声も出せずにいた。妹が泣き出し叔父さんが外に出てしばらくすると「誰もいねがった」と、青い顔してかえってきた。
明り取りの天窓は地面から三メートルもあり、隣との間には砂利が敷いてあるので誰かが通ると音がするし、それよりチロが真っ先に吠えるはずだ。
その夜は、お墓の前を通るのが嫌だと妹が駄々こねるので、バッちゃんちに泊まった。

朝、起きてすぐ台所にいくと、ご飯支度をしてる春江おばちゃんと母ちゃんが話していた。
「隣の白井さんとこにも、来らしゃったとー」と、春江おばちゃんが言った。
「あれまあ、ほんどにー。バッちゃんにお別れの挨拶に来たんだべなあ」って母ちゃんが言った。それで僕は、昨夜玉くんつえババアが死んだんだと分かったが妹には黙っていた。
バッちゃんは隣の白井さんのバッ様と交代で、一人になってしまった玉くんつえババアに、毎日弁当を届けていたのを僕は知っている。バッちゃんたちが行けなかったとき僕が届けに行ったから。


妹と僕は寝る前にゴムホースで電話ごっこをすることにした。妹が怖い夢を見ないように。
「もしもし、兄ちゃんですか」
「はい、ミッちゃん。何かごようですか」
「父ちゃん、はやぐ帰ってくっといいなあ」
「もうすぐ金太郎アメおみやげに、帰ってくっと」
「母ちゃんもゆっでだな、兄ちゃん」
「うんだ。そうゆっでだ。ミッちゃん、もう寝んべ。いい夢っこ見んだぞ」

『シュシュポッポ。シュシュポッポ』
最終列車が杉山をのぼるのが、隣の部屋で夜なべをしている母ちゃんの溜息とまじって聞こえてきた。

真面目に一生懸命働いた父ちゃんが、出稼ぎ先の会社で社員になり、僕の一家はこの町を離れることになった。

とうとう東京に行く日がきた。
母ちゃんは、近所の人とバッちゃんたちに「つれえがら、駅には来ないでくなんしょ」と、泣きそうな顔して頼んでた。それは当たっていた。
駅でのみんなとの別れ。
エボちゃんは大事にしている肥後守ナイフを僕にくれた。タカオは猿飛佐助のマンガとベーゴマ三個を。トオルはセミの抜け殻二つと色の付いた輪ゴム三本。トッコ姉はミッちゃんに、自分で作ったビーズの首飾りと、誕生日に買ってもらったカチューシャを。そして僕の耳に口を近づけ真っ赤な顔してこう言った。
「あんどぎのごどー、しゃべんねえでくれでえ、ありがどう。ワタシも中学でだら、東京にいぐがら」と。

「さいならー、さいならー」
汽車の窓から、どんどん小さくなっていくみんなに妹と二人、ちぎれるほど手をふった。鶴沼川の鉄橋にさしかかったとき、トッコ姉の真っ白いお尻に似た雲と頬を伝わる涙を、風がスーっとぬぐっていった。

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