第302保安中隊で

「タナベ、おまえ……何故?」

 

 

これは実際私が体験したことです。そのため登場人物名は自衛隊以外、仮名です。また、まとまらずとりとめのない話になるのも、ご了承ください。

 

陸上自衛隊市ヶ谷分隊第302保安中隊は、普段は自衛隊の中の警察つまり軍隊の憲兵の仕事をする部隊であるが、特別儀杖隊として外国の要人が国賓として来日したとき、羽田空港に出向き観閲式を行うのも重要な任務の一つであった。

品川の芝浦にその部隊はある。敷地の横側には運河が流れ、貨物船が行き来して潮風を運んでくる。向こう岸には日清製粉の工場が見え、蜃気楼のようなのどかな雰囲気を醸し出している。

同じ敷地内に中央音楽隊の隊舎もあり、隣接して第302保安中隊の新隊舎がひときわ目立って建っている。営庭を挟んで旧陸軍時代から使用している木造の旧隊舎があり、そこは学校のような片廊下で、教室に使える部屋が六部屋ある。二階も一階と同じ作りだが、長い廊下の突き当たりにある観音開きの部屋は、畳敷きになっていて、隊員たちの娯楽室となっていた。

全国の各駐屯地から八名が補充要員として転属して来た。私もその中の1人で約二ヶ月間、儀杖隊としての訓練を受ける。階級が二士(旧軍隊の一等兵)は私1人で1名が1士、(旧軍隊の兵長)六名は陸士長(旧軍隊の曹長)であった。

訓練はキツイの一語につきる。雨の日以外は毎朝5キロのマラソンを行い、午前中は営庭で行進、捧げ銃(つつ)の上げ下げ、午後は犯罪学の講義と徒手格闘訓練で休む暇もないほどカリキュラムが組まれる。捧げ銃の繰り返しで両手の親指と、人差し指の間の皮が剥がれ血が滲む。

そんな日々を送っていたが……。

旧隊舎1階にある道場で、徒手格闘訓練が終わった後、防具やマットの片付けや掃除の作業があり、いつも私と1士のタナベと二人でやっていた。軍隊は年期だ、長くいたヤツが偉いのである。

陸士長の六人は、俺達二人がやることを当然と思っているらしく、さっさと帰ってしまう。私は日頃からそのことに対して納得がいかず、頭にきていたのだ。同じ訓練生として儀杖隊に来たのだから階級には関係ないはずであり、たとえ掃除であっても皆同じようにやるべきだと。

「タナベどう思う?」

いつもの、後付けをしながらタナベに聞いてみた。

「俺だって頭にきてるよ!」

それは、日頃おとなしい彼にしては、珍しく激しい言い方だった。彼も私と同じ思いを持ち、感じていたのだ。タナベは階級は一つ上の1士だが、トランペットの趣味があり、よく運河に向かって一人でトランペットを吹いていた。あまり皆とは話さない男であったが、私も高校時代に、ブラスバンド部でトランペットを吹いていたので、彼とはそこそこ親しくなった。

「お前の持っているナイフちょっと貸してくれよ」

依然、彼が持っている、ジャックナイフを見せてもらったことがある。今は禁止されているが、飛び出しナイフってやつだ。

「あの江沢士長、徒手格闘がめっぽう強いから、素手ではとても敵わないからな。ボコボコにやられてしまう」

徒手格闘とは素手でやる殺し合いである。ルールも禁じ手もないが、危険防止のため、胴と面と急所カバーを付け、グローブをはめる。もっともこれはあまり役に立たない、皮膚を傷つけない程度のもので、殴られて痛みを感じないような防具では格闘術とはいえない。私は彼の回し蹴りをもろに食らったことが何度もある。

「むちゃするなよ」

タナベはそう言ったが、それでも貴重品箱から持ってきて私に渡してくれた。

徒手格闘訓練が終わって、いつものように掃除をしたある日、「タナベ、お前は手だすなよ。向こうは6人だ。まともにいったらかないっこない。江沢士長1人を相手にすっと、なんとかなんべ」興奮すると思わず会津弁が出てしまう。

タナベは頷いたが、不安そうだ。

「ちょっと話しがあるから」

先に帰って娯楽室でタバコを吸い、なにやら話していた6人に、穏やかに言った。

旧隊舎の裏側に黙って着いてきた6人に向かって、

「お前ら階級が上だと思って、なめてんじゃねえ!」

ジャックナイフを取り『シュッ』と刃を出したとたん、2人は逃げだし、江沢士長を除いた百瀬、小林、井上も逃げ腰になっている。

「そんな物出して、なんか文句でもあるのか?」

江沢士長が落ち着いた声でナイフから目を離さず、言った。

「お前らなんで掃除、俺達二人だけにやらせんだよう。お互い訓練生としてこの中隊に着たんだろう。階級なんて関係ねぇだろうが!」

私は言いながらナイフを身構えた。

(向かってきたら足か腕を刺すしかないな)

と、思っていた。

「なんだそんなことか。いわれてみるとお前の言うとうりだ。いや、悪かったよ」調子ぬけするほど、彼はあっさり言う。

 

(こいつ、さっぱりしている奴だな)

私は照れくさくなり、ナイフをしまった。

それからは8人全員で掃除をするようになり、江沢士長とは友達になった。

[あえてここで彼らのその後を書く]

江沢士長は除隊後、渋谷にある寿司屋〈〇松寿司店〉に見習い寿司職人として就職した。私も何度か食べにいったが、「まだ飯炊きだー」とこぼしていた。そんな彼も寿司を握ることなく、間もなく胃がんで亡くなった。(享年23歳) 百瀬は親父が松本の〇〇組の組長で除隊後ヤクザになった。(行方不明) 小林は地元新宿で親の後を継ぎスナックを経営していたが、いざこざでチンピラに刺され死んだ。(享年22歳) 井上は自衛隊除隊後、皇室護衛官採に採用された。

 

アフガニスタン国王の来日が決まり、いよいよ本番だ。といっても八名全員が参加できるわけではないが、さいわい私は選ばれた。三列目で1番目立たないポジションであるが。

前日は準備で忙しく、制服にアイロン掛け、短靴をピカピカに磨く。その夜は興奮してなかなか寝付けなかった。

翌朝八時から予行練習。中央音楽隊50名、儀杖隊94名、30名の小隊が3小隊で各1名の小隊長が付き、大森中隊長が指揮官である。さあ、いよいよ本番だ。

おしどり観光(本当だ。ただしバスガイドは乗っていない)のバスに乗り羽田まで首都高速を飛ばす。私と一緒に選ばれたタナベ、江沢士長、百瀬、小林も緊張している。首都高速に乗るのはこれが初めてだ。景色を楽しむ暇もなく、あっというまに着いた。

国王を乗せた飛行機は11時到着予定、中央音楽隊の小太鼓に合わせ観閲式場までの行進。周りの人たちが、何事がはじまるのかと、好奇の目を向ける。

「かっこいいなあ!」

子供達の声が聞こえてくる。手を振っている人、遠くの方から走って来る人もいる。注目の的、皆が見ているのだ。

顔が紅潮し、これまで感じたことのない誇らしい気持ちが沸き起こり、胸を張る。

「儀杖隊とまれ!」

大森中隊長の号令。

一、二、ビシッ。

百名が一斉に止まる。日頃の訓練の成果だ。

「廻れー右、休め!」

号令と共に右足を肩幅に開き、右手を後ろに、左手の小銃をやや前に倒す。

待機である。

そのころ、天皇陛下が皇室護衛官に守られ御越しになる。皇室の方々もあとに続く。皇太子様、美智子様、貴子様も。

飛行機が到着し、天皇陛下が出迎え国王と握手され、お二人で観閲台に向かわれる。

我々儀杖隊は、気おつけの姿勢のまま目を動かさず、前方を見る、天皇陛下と国王が我々の前を歩かれ、観閲台の上にお二人が揃われた時、すかさず中隊長の号令がかかる。

「ささげー銃(つつ)!」

バシッ、ビシッ。

中央音楽隊がアフガニスタン国歌を演奏する。続いて君が代。

両国の国歌が終わると、

「下げ―銃!」中隊長の号令。

ビシッ、トン。

天皇陛下と国王が観閲台を降りられ、中隊長の先導で儀杖隊の前を通り、皇室護衛官が待機している車に向かわれる。

これですべてのセレモニーが終了した。

あとはまた、おしどり観光のバスに乗り、首都高速で第302保安中隊へ帰るのである。

☆ おもに印象に残った儀杖は、インドの首相であるガンジー女史(故ガンジー首相の長女)の儀杖をおこなったことだ。首相は紫色のサリーをまとい、サングラスをして現われた。本当は見てはいけないのだが、ちょっとだけ見てしまった。サングラスを外したガンジー女史、東洋系の顔をした美人であった。

儀杖隊の仕事も中曽根元首相が防衛庁長官に就任したとき、防衛庁前でおこなった就任式の後、これといった式典もなく、しばらくのんびりした日が続いた昭和42年2月17日の朝のことだ。

起床前なのに、突然当直当番の柿沼三曹が二段ベッドで埋まった室内に飛び込んできた。

「〇〇はいるか? 〇〇は?」と私のベッドを覗きこんできた。

「お前じゃなかった……か……」

柿沼三曹のあわてぶりは尋常ではなく、何事かと皆が起き出したとき、

「あぁ、あれはタナベだったか!」

彼はタナベのベッドを見ながら悲鳴にも似た声をあげた。

タナベのスチールベッドはきちんと整えられ、彼はそこにはいなかった。

洗面所のスチームパイプに、頭から胴巻きを被り、麻縄で首を吊っていたのは、タナベだった。胴巻きをとった彼の顔は、耳と鼻から血を流し舌がわずかに出ていたが苦痛の表情はなく目は閉じていた。

胴巻きをかぶっていたので、誰だかわからなかったのだ。また洗面所は、洗濯干し場も兼ねて作業服などが干してあったため、トイレに起きた人も気付かずにいたのである。

彼のロッカーは綺麗に整理されていて、母親あての遺書があった。

大手町にある警視庁科学警察研究所に実習に行った時、私と一緒に見てまわったタナベは、首吊り死体の実物写真を見て、私にこう言ったのを覚えている。

 

「首吊りって、あんまりかっこいい死に方ではないな」

「死に方に、かっこいいも悪いもないだろうが」

私は言った。

その写真に写っていたのは、舌を、だらんと出し、目、耳、鼻から血を流し、どす黒く変形し、とても人間とは思えない顔が写っていたのである。

また彼はこうも言っていた。

「首吊りするなら顔、隠してやらなきゃ」

まさかそれを実行するとは。

柿沼三曹はトイレに起きた夜中の三時頃、階段の脇にある鏡(服装の乱れを見る)の前に立ち、じっと自分の姿を見ているタナベに、声をかけたそうだ。

「何してるんだ? タナベ、明日早いからもう寝ろよ」

と言ったとき、振り返った彼の顔が真っ青で、まるで死人の顔のようだった、と話した。そして思い出したように、

「あいつ、あの時にはもう死んでいたのかもしれない」

私たち新隊員7名は旧隊舎二階の娯楽室に、彼の遺体を運び、アルコールで全身を拭いた。制服を着せるとき首回りが麻縄で、ミミズ腫れになっていたのでワイシャツの襟で隠した。その夜は二人ずつ、寝ずの番を交代で行なった。

次の日、母親と中学三年生になるという彼の妹が、泣きはらした顔をして遺体を引き取りにきた。「お兄ちゃん」と言って、彼の遺体に取りすがり泣きじゃくる妹の姿を見て、みんな涙を流した。

自殺の原因は思い当たらないと言っていたが、どこから聴いてきたのか柿沼三曹が、「二ヶ月前付き合っていた恋人が、病気で亡くなったことが原因かもしれない」と話した。

私は、彼がどうして相談してくれなかったのかと、悔やんでいた。

それからである。

決まって夜中の三時に巡回する隊員が、青い顔をし、慌てふためき守衛所に駆け込んで来るようになったのは。

月に一度の割合で隊舎の警備にあたる営門守備勤務がある。十時、十五時、二十二時、三時と一日四回隊内を巡回する。宿舎の各箇所に異常なし、と記入する点検表が置かれてあり、旧隊舎の二階、娯楽室前にもそれがあった。

小林士長は真夜中三時の巡回の時に慌てて戻ってきた彼は、大声で、

「タナベが出たー、タナベが立っていた! タナベが立っていた!」と、わめきたてたのだ。タナベの亡霊が二階の娯楽室入り口、観音開きの扉の前に、ボーっと立っていた、と言うのだ。

百瀬士長の時には、彼が巡回から戻ってこないので不審に思った柿沼三曹が旧隊舎に行ったところ、階段の踊り場に倒れて気絶している彼を見つけた。

「百瀬、百瀬、どうしたんだ」と揺すって起こすと、覚めた百瀬が腕を上げて後ろを指差すので振り返ったら、タナベがいたと言う。

実は、私もタナベの亡霊に遭った。

「そんなことあるはずがない? 何かの見間違いだ。これは自分が作り出した妄想だ」と否定しようとする自分でもあったが……。

営門守備勤務の時に、運悪く深夜三時の巡回に当たってしまった。

警備室内にある仮眠室で寝ていた私は「時間だよ」と、その日の警備隊長曽根川三曹に起こされた。

二段ベッドの上では中島士長が寝ている。

「外はだいぶ冷えてきたよ、雨も降りそうだ。今夜あたり、でそうだな?」

普段の彼からは想像できない不安げな表情が、なんとも頼りない。

「そんな、脅かさないでくださいよ。中島士長、起こして二人で巡回できれば……」

そんなことはできない、と分かっていたが身支度を整え手袋をはめながら言った。

「服務規範違反になってしまうからなぁ」

曽根川三曹がつぶやく。

二人で巡回すれば、と思うのだが、ここ302保安中隊のような小さな部隊では、一人と決まっているのだ。たった三人で行う営門守備勤務である。

とにかく隊内外を一周し、異常の有無を確認しなければならない。

懐中電灯を照らしながら隊内を巡回した。二段ベッドが本棚のように並んだ各室内には、三十人ばかりの隊員が詰め込まれている。健康そうな彼らの寝息が聞こえ、みんな寝入っていた。旧隊舎に向かうと、あたりは静まり返って運河の方から霧が湧き出し、雨が降ってきそうだった。

(どうしてタナベの遺体を娯楽室なんかに安置したんだ)

そんな悪態もつきたくなる。入り口は、電灯が数ヶ所灯っているだけで薄暗く、懐中電灯の明かりだけでは、心もとない。

「ギィー」と開くドアの音が恐怖心を更に煽る。たった一人でどこかに取り残され、そんな自分を闇の中から誰かが「ジィー」と見つめているような気がしてきた。

「ピシャ、ピシャ」天井裏の方から聞こえる。

(雨でも漏れているんだろう、何しろ古いからな、ここは)

一方では「今の音は何だろう?」とも……。

おそるおそる左側の階段を登った。「ギシッ、ギシッ」古い階段が鳴る。

火の気がない廊下はさすがに冷え込んでいて、建物全体に響くように、自分の靴音だけが聞こえる。娯楽室前にある点検表の箱の下、火災警報の赤い光がぽつんと見え、そこだけが別世界のように思えてくる。

(さぁ、早く記入しなきゃ)

箱を開けた。

急いで懐中電灯を口にくわえ、ボールペンを取り出そうとしたが、手袋が邪魔で掴めない、〈このもどかしさと焦り〉手袋を外し、やっとボールペンを取った。

記入終わったときに、後ろに誰かいるような気配がする。

スーッと血の気が引いていく。

「なんだよ。冗談だろ。勘弁してくれよ!」

声を出して、思い切って後ろを振り向いた。

すぐ目の前に田辺が立っていた。

自殺した時と同じ作業服を着て、青白く透き通って実体感がまるでないような。

体が硬直し叫び声さえ出ない。

口に咥えた懐中電灯が落ちて「ガターン」と音がした時に、恐怖とはまた違った感情が湧いてきた。

「タナベ、お前……何故?」

震える声で言うと、彼は一瞬笑ったような表情を浮かべ、消えていった。

それからもタナベの亡霊騒ぎは収まらず、柿沼三曹以下数名が神経をやられ入院するはめになり、自衛隊上部の方でも問題として取り上げられ、旧隊舎は取り壊された。

 

未だに毎年、2月17日が来ると、思う。

「タナベ、お前……何故?」と。

          完

余談

それから三年後、市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫が割腹自殺をする。

故江沢さん、故小林さんのご冥福。百瀬、生きているのか?

あの時の302保安中隊、全隊員に。

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